震災遺構 宮城県石巻市立大川小学校
教訓を未来に伝えるために

らら・カフェ 2023夏号(第63号)/ 2023年6月


 

「なぜ…」 復興とは裏腹に、
今なお問い続ける遺族の思い
震災遺構から学ぶ災害の記憶と記録、
そして命の大切さ…

写真は、2011年3月11日に起きた東日本大震災による津波で大きな被害を受け、一昨年10月から震災遺構として整備・公開されている宮城県石巻市立大川小学校です。当時、学校に残っていた78名の児童のうち74名(行方不明4名)と教職員10名が津波の犠牲となりました。宮城県では、沿岸部に位置する学校が津波で大きな被害を受けましたが、学校管理の下でこれほど多くの犠牲者が出たのは大川小学校だけです。子どもたちは、先生の言うことをちゃんと聞いて行動していたのに、なぜ死ななければならなかったのでしょう。
真実が見えない中、犠牲となった子どもたちの保護者は、その疑問を解明しようと何年にもわたって裁判を闘い抜きました。愛するわが子の死を無駄にしないために…。


■12年前、宮城県三陸沖を震源とした巨大地震は、東日本各地に甚大な被害をもたらすとともに、その後太平洋沿岸部を襲った大津波によって1万8千人以上の死者・行方不明者を数える結果となりました。(最も多い宮城県で1万757人、岩手県5,785人、福島県で1,810人、他県67人 の死者・行方不明者)――2022年9月警察庁発表)
■さらに福島県は、東京電力福島第一原発の事故によってより深刻な事態となりました。経験したことのない放射線への恐怖、16万人を越える住民の避難、家畜や農地の汚染対応、故郷を失った悲しみ、怒り、諦めなど、葛藤の日々は今なお続いています。

忘れないで、大切な命と故郷への思い
ここで生きた証を後世に伝えること…

■あの日、各地を襲った津波の最大高は、宮城県女川漁港で14m、福島県相馬で9.3m、岩手県宮古で8.5mという報告があります。陸地を遡った津波の最大遡上高は40m以上。通常10mの津波で3階建ての建物でも水没する危険があります。1mの津波に巻き込まれた人は、ほとんどが亡くなると言われています。

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