原発事故12年『双葉町の今…』

らら・カフェ 2023春号(第62号)/ 2023年3月


 

 2011年の東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から12年。避難していた市町村の中で、唯一住むことができなかった双葉町で昨年8月、一部区域ではあるものの居住が可能になり、11年5カ月ぶりに「居住人口ゼロ」が解消した。原発事故の被災自治体で唯一、福島県外への避難を経験した双葉町の「今」をお伝えしたい。
          共同通信福島支局長 小 池 智 則 

埼玉へ県外避難
 双葉町には、福島第1原発の北側に位置する5号機と6号機がある。南側の大熊町にある1~4号機とともに、第1原発は6基全てが廃炉になり、溶け落ちた核燃料の冷却や取り出しに向けた作業が続いている。
 2011年3月11日午後2時46分に発生した地震と原発事故で、双葉町は全町民が避難を強いられた。翌12日に川俣町、そして3月19日には埼玉県の「さいたまスーパーアリーナ」に町長や町職員、町民が避難した。さいたまスーパーアリーナは、大規模なコンサートや催しが行われる首都圏でも有数の大型施設。通路の床が町民の生活スペースになり「町役場」も置かれた。
 震災発生当時、私は東京の本社で勤務していた。仕事としてはもちろんだが、自宅がさいたまスーパーアリーナの近くで、近所からボランティアに行った人もいたので、遠くの出来事とは思えず、強い印象が残っている。
 3月30日には同じ埼玉県の加須市にある旧県立騎西高校の校舎に移り、今度は教室が居住スペースになった。


居住可能に、役場も完成
 昨年8月30日、帰還困難区域の中で、JR双葉駅を中心とする中心部のエリアが「特定復興再生拠点区域」(復興拠点)として避難指示が解除され、11年が過ぎてようやく住むことができるようになった。町役場も、加須市の後に移ったいわき市から、双葉町に戻ってきた。新しく完成した役場はJR双葉駅東側の目の前。元の役場からは幹線道路の国道6号をはさみ、西に移転した形になる。


キッチンカーに行列
 JR双葉駅前で目を引くのは、お昼時に役場の前に止まるキッチンカー。駅周辺にはご飯を食べることができるお店やコンビニなどが、まだない。2月に訪れた時は、2台の車がお弁当やカップラーメン、飲み物のほか、お菓子や野菜も売っていた。町職員だけでなく、周辺で復興作業をしている人たちも行列を作り、お弁当などを次々と買い求める。食事は活力の源。町は常設の商業施設を誘致する計画だが、それまでは力強い味方になりそうだ。


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