『福島第二原発』視察から

らら・カフェ 2017冬号(第41号)/ 2017年12月

3・11からの軌跡―震災から学んだこと


 東日本大震災による大津波により、東京電力福島第一原子力発電所は全電源を喪失し、最悪の事態を招いた。原発災害による避難者は約16万人。すべての注目が福島に集まって以来、事故現場は来年7年目を迎え、廃炉作業はようやく本格的に取り組める環境が整ってきた。
 ところで、福島県にはもう一つ福島第二原子力発電所があるのを忘れてはならない。第一原発から南へ10キロ、楢葉町と富岡町にまたがり、敷地面積は第一原発の約半分とはいえ、震災時は1号機から4号機まで総出力440万キロワットでフル稼働していた。現在は全燃料が取り出され、プールで安全に管理されているが、当時、冷温停止に至るまでの道のりは決して容易なものではなかった―。

福島第二原発は、なぜ最悪の事態を免れたのか
 福島第二原子力発電所(以下2F)は、第一原子力発電所(以下1F)と同様に地震と津波の被害を受けながらもなぜ最悪の事態を免れることができたのか ― そこには、東京電力所員や協力企業の人たちによる命がけの闘いがあったことを伝えなければならない。

 震災当時、国民が1Fの非常事態に不安を募らせていた頃、2Fは炉心損傷を免れ全号機が安全に冷温停止したと伝えられた。しかしあの日、津波はすさまじい勢いで2Fの敷地内に浸入し、海抜4メートル地点に設置された海水熱交換器建屋を襲った。さらに坂を駆け上がった津波は、海抜12メートルに設置された1号機原子炉建屋、廃棄物処理建屋、免震重要棟に到達。その結果、2Fは3号機を除き原子炉の冷却機能を失うという重大な事態に陥った。
 原子炉の安全は、「止める」「冷やす」「閉じ込める」という3つの機能を確実に行うことが鉄則とされている。2Fの場合、南から北へ4つの原子炉建屋が並んでいるが、それぞれの建屋には原子炉格納容器、原子炉圧力容器があり、その中に764体のウラン燃料集合体が装荷されている。この燃料の核反応による熱で水を水蒸気に変え、タービン建屋の発電機を回して発電するというのが原子力発電の仕組み。震災時、2Fでは4機ともフル稼働していたが、マグニチュード9.0の地震発生により緊急停止。いわゆる「止める」ことには成功した。だが、原子炉が停止しても、炉内の燃料は熱を発生し続けるため、「冷やす」工程が必要になる。しかし、海水熱交換器建屋の浸水によって建屋内の電源盤や周辺機器が損傷したことで、3号機以外は冷却機能の喪失に至っている。
 2Fには外から電源を供給する外部電源が4回線あるが、そのうち3回線が損傷等により使えなくなっていた。ただ、全電源が失われた1Fと違うのは、1回線が生きていたこと。この幸いがなければ2Fも1Fと同じ運命を辿っていた可能性は否定できない。

 

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