その後の「請戸小学校物語」

らら・カフェ 2022春号(第58号)/ 2022年3月


▲震災遺構 浪江町立請戸小学校

 東日本大震災による津波で甚大な被害を受けた福島県双葉郡浪江町の請戸小学校。当時学校にいた82名の児童と教職員は2km離れた大平山に避難し全員無事だった。2015年、避難の様子を描いた絵本「請戸小学校物語」は、全国各地で話題になり、防災教育や視察・見学の資料としても使用されてきた。
 その後、請戸小学校校舎は、地元住民の希望により震災遺構として保存が決定。2021年月に一般公開された。  

 絵本「請戸小学校物語」は東京の団体「NPO法人団塊のノーブレス・オブリージュ」により作成された。メンバーに福島県の出身者がいたことで、交流のあった大学生と視察にきた際に請戸小学校のことを知り、この教訓を絵本にして後世に伝えようと発刊したもの。避難する子どもたちの絵と文章が、震災遺構の順路に沿って案内パネルに使用されており、臨場感が伝わってくる。震災前の子どもたちの様子や卒業式の準備など、どこにでもある小学校の日常が、この日を境に一変したことを目の当たりにし、津波の恐ろしさを改めて実感する。
 順路は、駐車場側から入館し、管理棟を通過して校舎一階へ。低学年の教室や職員室、校長室、ランチルーム、体育館と回り、正面玄関を通り2階へ。高学年の教室は被害は少なく、被災時に残った品物や、震災後訪れた方々の激励の言葉が書き残された黒板などが展示されている。
 請戸小学校は、請戸地唯一震災当時のまま残された建物。それ以外の建物はこの10年で取り壊され、請戸漁港や墓地などは整備されて新しい道路や高い防潮堤ができた。以前の請戸地区を知る人は、まるで別の地域に来ているようだと言う。
 今後も津波の被害に見舞われる恐れがあるということで、この地区のほとんどは災害危険区域に指定されており、住宅の建設はできない。しかし、毎年請戸に慰霊に戻る住民が、変わりはてた故郷を嘆きながらも、この請戸小学校を拠り所として集まり、旧交を温めることもあるだろう。
 請戸小学校の元児童名はどうしているだろうか。家族を失った方も多い。避難先の学校に馴染めなかったり、震災の話ができなかったり、辛くてなかなか請戸に戻れない方もいると聞く。
 私たちはもっと請戸に、被災地に足を運び、地元の人の声に耳を傾けるべきだと思う。震災遺構を周囲に伝え、この事実を風化させないことが、私たちのできる復興の活動の一部ではないだろうか。


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