らら・カフェ 2016春号(第34号)/ 2016年3月
▲子どもたちと手品で遊ぶ安斎育郎先生
福島市渡利「さくら保育園」の5年間
「さくら保育園」は1980年の開園当初から、「子どもの豊かな発達を保障し、生活を大事にする保育」「保護者とともに行う保育」「科学的なうらづけのある保育」という方針でつくられた。福島市でも比較的放射線量が高いといわれた渡利地区にある。被災前は近くの里山や田んぼのあぜ道を散歩したり、思い切り自然と触れ合う保育を実践してきたが、原発事故によりそれができなくなってしまった。保育園の職員や保護者はどのようにこの事態を乗り切ったのか、齋藤美智子園長に5年間の経過を伺った。
最初に取りかかったことは何ですか?
保護者との話し合いは?
4月に入ってきた子の保護者はこの保育園のことを知りませんから、当時の保護者会は熾烈な話し合いでした。その時はまだ信頼もなにもないですから。窓を開けた時間を確認したり、ここにいていいのかという不安に満ちていた保護者もいました。でも、毎日室内の線量を測り、結果としてこうだということを伝え了解してもらいました。園の方針に賛成反対で対立しがちだけど、子どものことを思う気持ちは同じ。毎月の保護者会や通信で悩みを出し合い、どうすれば良いか前向きに話し合いました。不安はなかなか無くならないけど、誰かと話すことで気持ちを軽くすることはできたようです。ペットボトル作戦というは?
プールを再開するのに、園と保護者でできるかぎり除染をしたのですが、プールに向かう途中のテラス前の犬走りがなかなか線量が落ちずに困っていたところ、園の卒園生が郡山でこういうのをやっていると教えてくれました。ペットボトルに水を詰めて、2段重ねに並べてその上にスノコを敷くというやり方です。水の壁が放射線を遮り、意外に効果がありました。